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豊受大神とは?

 豊受大神は食物や産業の神として、現在は伊勢神宮外宮にお祀(まつり)りされていますが、もともとはこの地方、久次区にある比沼麻奈爲神社(ひぬまないじんじゃ)にお祀りされている神様です。

 

 天保12年の丹哥府志(たんかふし)によりますと、比沼麻奈爲神社は延喜式(えんぎしき)で、崇神天皇(すじんてんのう)10年、紀元前86年に丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)が、その子、八乙女(やおとめ)に豊受大神を祀らせたのが比沼麻奈爲神社です。

 

 のちに雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の夢枕に天照大神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国(たんばのくに)の比沼麻奈爲神社にいる御饌(みけつ)の神、豊受大神を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、丹波国から伊勢へ遷宮(せんぐう)させたと、伊勢神宮外宮の社伝(しゃでん)「止由気宮儀式帳」(とゆけぐうぎしきちょう)に記述されています。

 

 また、この豊受大神は天女であったと伝えられています。

「丹後風土記」逸文によると、丹波郡比冶里の比冶山の真奈井の井戸で天女8人が水浴をしていた。その時、老夫婦が、1人の天女の羽衣をかくしてしまい、天に帰れなくなった天女は、そのためその老夫婦の家に住む事になる。

 その天女は酒を造るのが上手く、その酒が高く売れ、老夫婦は金持ちになるが、十数年後には邪魔にされ家を追い出されてしまう。

その後、転々とした後に、竹野郡船木郷奈具野村に鎮まった。

この天女が豊受大神であるといわれています。

現在、豊受大神が祀られている伊勢神宮外宮

  豊受大神が祀られている伊勢神宮外宮

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