top of page

月の輪田とは?

 「丹後旧事記」(たんごくじき)によると、稲種(いなだね)を天照大神(あまてらすおおみかみ)に奉った田は、今も苗代と二箇の間にあって、三日月形の小さな田で「月の輪」といい、領主もたたりがあるというので年貢地から除外していたとの記述があります。

 また、作らないとたたりがあるということで、野木姓の義右衛門が身を清め、家族とは食事の内容も別にして稲を作ったそうです。

 そして、月の輪田で収穫した稲は精米され、一斗三升の米は、伊勢の御師(おんし)幸福出雲太夫(こうふくいずもたゆう)に御初穂(おはつほ)として奉つられました。

 収穫後の藁(わら)は翌年の肥料にするために全部、月の輪田の中に入れ、不浄な肥料を入れることや、女の人の立ち入りもたたりがあるといってできませんでした。

      昭和41年秋に撮影された月の輪田

(この翌年に圃場整備によって北へ10m移動しています)

 月の輪田には史跡として石碑が建っています。碑の裏側には

次のような文章が刻まれています。

 

「月の輪田は三日月田とも云い、大昔豊受大神が苗代の清水戸に浸した籾をここに蒔き、とれた稲種を天照大神に奉ったという遺跡である。代々の領主は除地としてこれを保護し、二箇村の義右衛

門は毎年身を清めて稲を作り、白米一斗三升を初穂として伊勢神宮に奉納し、藁は全部この田に入れて翌年の肥料に当てたという昭和四十二年農業構造改革事業にともない、耕地整理のため、北接十米の二本松稲荷前に移し、柿の木地蔵も併せて合祀し、これを保存すると共に農業発祥の地の由来を記し、後世に伝えようとするものである      昭和四十二年十月建立 二箇区寄贈」

 

bottom of page